1999年8月27日 金曜日

昨日は行田校で飲んだ。なんかいつも飲んでるみたいだけど。明日は北鴻巣校で飲み。実際いつも飲んでいるのかな。昨日ははじめてトイレで意識を失った。やっぱりウイスキーはいかんね。

黄金時代 椎名誠 文芸春秋 1998年
 一昨日カラテカの家に行って、この本が落ちてたので、拾ってきた。友達のものらしいが。この本は前から読もうと思っていた本で、でもまだハードカバーしか出てないから文庫になったら買おうと思っていた。ラッキー。椎名誠を読むのは久しぶり。
 昔本屋でパラパラめくったことはあったので、大体内容は知っていた。というか、彼のほかの著作とかなり内容がダブっている。ので、あまり目新しさは感じなかったが、それでもやっぱり椎名誠は面白い。
 これがぜんぶ本当にあったことかどうかは知らないけど、全くのフィクションじゃないだろうから、それを考えると黄金時代と言うか、やっぱ青春だなっていうのを感じる。理由の無い暴力衝動や、泥臭い恋心とか。自分もそんなに年をとったつもりも無いんだけど、月並みな言葉で言えば、ちょっと落ち着いてしまったかな、と。すぐに冷静になって、まわりを見まわしてしまうことが多い。視野が広くなったっていえばかっこいいけど、それってまわりが見えなくなるほど、一途に何かに夢中になってやるものが無くなってしまったっていう証拠だから。そういうものを取り戻したいと思っても、それらはその時代にしかないんだよね。だから、本当に「黄金時代」かも。


1999年8月7日 土曜日

昨日もまたまた塾で飲んだ。今までで一番きつかった。どうやって家に帰ったのかは分からないが、「酒気帯び」じゃなくてまさに「飲酒」運転だった。17号バイパスで道の真中に吐いた記憶がある。二日酔いで頭が痛いなあと思ってたら、頭にこぶができてた。

『二十日鼠と人間』 ジョン・スタインベック 新潮文庫 昭和28年
 新潮文庫の一番いいところは、紐の栞がついているところ。これは本当に使い勝手がよい。他の出版社もやればいいのに、と友達に言ったら、なんでも特許とかの関係で新潮しかやっちゃいけないらしい。残念。
 『二十日鼠と人間』は短編で、うーん、いや、短編小説と言うよりも劇の台本に近いものがあるな。章立てが、劇の場面場面に対応していて、作劇の手法を駆使しているのが分かる。といってももちろん戯曲ではないんだけど。
 スタインベックというと、『怒りの葡萄』のイメージが強いけど、この本もすごく面白かった。小説はただ長ければいいってもんじゃない。当たり前だけどさ。この本の中には、力持ちなんだけど知能障害な奴が出てきて、そうゆうやつ奴が出てくるものは、基本的に本も映画も嫌いなんだけど、これはなんかね、必然性があるよね。終わり方が『若きウェルテルの悩み』に似た、でも内実は全然違う寂しさに包まれたラストで(まあ、予想できちゃうけどさ)、とても良かった。星の数は5個。おすすめ。
 北海道用に、『罪と罰』を買ってきたので、帰ってきたらそれについて書きたいと思います。それにしても、卒論と関係ない本ばかり読んでて大丈夫だろうか。


1999年8月5日 木曜日

今外ではすごく強い雨が降ってる。カミナリも。自分が家にいるときは、雨も結構いいもんだね。朝雨降ってると、ブルーになるけど。

『春の夢』 宮本輝 文春文庫 1988
 maggioに借りた宮本輝を、ここずーっと読んでなかったので最後の一冊だったんだけど読んでみた。前々から宮本輝は読んでみようと思ってたので、彼が好きらしいmaggioにちょっと前に10冊ほど(もっとか?)まとめて借りた。続けて読むと結構飽きるんだけど、最後の一冊はなんかね、少しもったいなくて。ずっと読んでなかったのさ。
 まあ、久しぶりに読んだ感想としては「やっぱ、おもしれーな」って感じ。女の人に凄く人気があるのもうなずける。結局恋愛についてだけのような気もしちゃうけど、この作品の中に使われている台詞によると、「人生が五十センチの長さのもんやとしたら、男と女のことなんて、たったの一センチくらいのもんやで。そやけど、その一センチがないと五十センチにはなりよれへん」、ということかな。
 引っ越して、自分で物掛け用に暗闇の中で打った釘に、翌朝気づくと蜥蜴が貫かれている。しかし釘に貫かれているのは蜥蜴だけじゃなくて自分もそうだ。みんな釘に貫かれているじゃないか。そうやって生きていて、行き死にを繰り返して行くんだ、って内容。
 この話どっかで読んだことあるんだよなあ。この本自体は絶対読んだことないんだけど。宮本輝が誰かのパクったのか。でもこんなに有名な人がそんなことするわけないから、他の誰かがこの話をどっかで引用したんだろう。でも凄い話だね。自分に釘を貫いた者を激しく憎しみながらも、そいつに餌を与えてもらわなければ生きていけない遣り切れなさ。こんな寓話は日常にありふれてるね。でもだからちょっと重いのかも。

”空を飛ぶものは、みなふたつの翼を持っている。そして、ひとつの鏡を持っている。けれども、翼はひとつだと思い、鏡は二枚だと思うものたちは、やがて地の底に落ちる。翼はふたつでひとつになり、鏡には表と裏があるのだ。それに気づいたら、いったい誰が、自分以外のものを不幸への道連れにしようなどと企てたりするだろう”  −ラングの手紙から

地の底に落ちるってトコがいまいちだけど。まあ、そんな感じ。


1999年8月3日 火曜日

今日は内定者懇談会なるものがあって、このクソ暑い中をスーツを着て錦糸町まで行ってきた。黒いスーツに白い(本当はゴールドなんだけど)ネクタイをしていったら、「結婚式か?」と言われ、少しむかつく。このネクタイ高いんだぜ。案の定また幹事にされ、ニ次会のお金を集めたりした。めんどくせえなあ。また今度もやらされるんだろうな。

『漱石を売る』 出久根達郎 文春文庫 1995
 作者は高円寺で古書店「芳雅堂」という古書店を営む傍ら文筆活動を続け、93年に『佃島ふたり書房』で直木賞受賞。それで当時高校生だったオレは古本屋にモーレツに憧れた。でも全然儲からないと言うのを聞いてすぐに諦める。ここらへんがオレらしい。しかし今でもそれで食っていけるのなら、古本屋と言う職業は非常に魅力的なものだなあ、と思う。結局本とは全く関係のない職についてしまったが。
 この本はエッセイ集なので非常に読みやすかったが、他の本で読んだ話がニ三あったのが少し残念。しかしその話も含めて、古書店の日常の不思議なエピソードが散りばめられており、大変面白い。だが、これはオレの知識不足と言えないこともないが、ややマニアックな方向に走ることがあり、そうすると、とたんに興味が失せる。

子供っぽい理想主義なのだろうと思う。一冊の本が人を変え、世を改革するものと信じて疑わぬ。人は金のみで生きるのではない。金で漱石は売らない。  p217

1999年7月31日 土曜日

昨日は塾でGTS、wanderingと一緒に飲んだ。いつもはすぐ寝てしまうのに、明るくなるまで飲むという、いままでの最長記録をぶっちぎりで更新した。気持ち悪い。そして、歯が痛い。GTSのデジカメ借りたので、使い方覚えたらお友達一覧に乗せます。

『パピヨン』 清水玲子 白泉社 1994
 知らない人は絶対知らない。知ってる人は少しニヤリ。実は少女漫画です。この分野はmaggioかtaxyしか分からないか。少女漫画は少年漫画に比べて構成が驚くほどしっかりしてる。なぜかは知らないけど、ドラゴンボールみたいに、だらだら続いていくというのはあんまりないよね。全体的に短いのかな。よくは分からんが。
 オレには双子の妹がいるので(オレが双子なんじゃなくて、妹が双子)、その手の漫画は妹に借りる。よく分からないまま「面白いよ」と言われたものを、素直に読むことにしている。はずれも多いけど。
 そんで内容なんだけど、ちょっとびっくり。プラナリアとかが出てきて(あの切ったら増えるってやつ)、人の形してる奴でもそういう種族みたいのがいて、切られて二人になっちゃって。簡単に言うと、自分と全く同じ奴がいたら、自分の存在価値は?ってもの。一人いれば、代替できるから。おーい、妹。おまえら双子じゃん。意味深じゃん。こんな本渡すなよな。脅しか?オレは気づかなかったけど、双子でいることの大変さとかやっぱあるんだろうね。ふむ。普通に読んだらなんてことのない本なんだろうけど。・・・・うーん、がんばれ。


1999年7月30日 金曜日

8月の7日あたりからバイクで北海道に行こうと思っているので、そのための準備でちょっとだけ忙しい。いままでなーんにもやることがなかったから、なんか嬉しいッス。早く行きたいなあ。楽しみ。

『砂の女』 安部公房 新潮文庫 1981
 安部公房は今まで読んだことがなかった。そんでなぜか妹が持っていたので、借りて読んでみた。彼って東大医学部卒なのね。びっくり。魯迅も、ドイルも、ドフトエフスキーも、鴎外も、みーんな医者。やっぱり頭が良くないと本は書けないんだろうなあ。あーあ、そんじゃオレも芥川賞でも取ろうかな。
 『砂の女』は20数カ国後に翻訳されているらしいが、読んでみてそれもうなずける。とにかく凄い。何が凄いってよくわかんないけど凄い。コワク的で(漢字が出ない)、官能的で、それもある意味恐ろしさ不気味さを伴った官能で、女が顔だけに手ぬぐいをかけて全裸で寝ている上に砂がサラサラと降り積もっていく場面などは、もうどうしていいものやら分からなかった。とにかくすげえ。安部ちゃん最高。

「納得がいかなかったんだ・・・・・・まあいずれ、人生なんて、納得ずくで行くものじゃないだろうが・・・・・・しかし、あの生活やこの生活があって、向こうの方が、ちょっぴりましに見えたりする・・・・・・このまま暮していって、それで何うなるんだと思うのが、一番たまらないんだな・・・・・・どの生活だろうと、そんなこと、分かりっこないに決まっているんだけどね・・・・・・まあ、すこしでも、気をまぎらせてくれるものの多い方が、なんとなく、いいような気がしてしまうんだ・・・・・・」 p198 l9

1999年7月28日 水曜日

今日は、めめ。、ユキ、おいらとオレの家で飲んだ。昨日歯を抜いたためか少ししか飲んでないのに、かなりホンワカしてる。お酒って体調次第で酔い方が全然違うのね。

『スキップ』 北村薫 新潮文庫 1998
 新潮文庫の「夏の百冊」みたいなキャンペーンで、帯についている応募券2枚を葉書で送ると、パンダのストラップをもらえる。それが欲しくてそれほど読みたいわけではなかったんだけど、買ってみた。北村薫自体は好きなんだけど、自分では女子大生の主人公のシリーズ(北村薫の別のシリーズでそうゆうのがある)のほうが好きで、そっちは新潮じゃ出てないから。でも文庫本が780円(税抜き)とかしちゃうとちょっと抵抗あるね。いつも一冊100円とかの古本買ってるからさ。
 読んだ感想としては結構面白かったかな。裏表紙を読んだときには、17歳の主人公が25年後の自分と入れ替わってしまうというものだったので、ちょっと荒唐無稽過ぎるんじゃないかなあと思ったんだけど、内容のほうはそこらへんをちゃんと書いていたのでまあ納得行かない部分はあるけどいいかな、と言う感じ。というか、『もののけ姫』とかでもテーマになってたけど日常の理不尽な部分、この本だと主人公の女の子の人生が25年も飛んでしまう(スキップ)というあたりに(全然日常じゃないかもしんないけど)、純粋にかわいそうだなあと思ってしまう。そりゃねーだろ、青春真っ盛りの部分をすっ飛ばしていきなり42歳か?というのは、所詮お話なんだけどね、寂しいな、と強く感じた。
 主人公の女の子は、25年後(42歳の自分)では教師をやっていて、学校の場面が多く出てくるんだけど(北村薫は埼玉県立春日部高校の国語の先生だった)、先生って職業は凄く大変なんだろうけど、それでもやる価値はあるもんなんだなあ、つーのを感じた。今不景気で公務員に人気があるから、先生になるのは大変みたいだけど、不景気じゃなくても大変じゃないといかんね。大げさに言えば、子供たちの人生の進路を決める羅針盤になるわけだからさ。それだけ責任も重いよ。オレも塾の生徒の道しるべにほんの少しでもいいからなれればなあ、いいんだけど。GTSがT大の大学院まで行って教師になりたいと言うのも(いままでは凄くもったいないなあと思っていた)、分かった気がした。これは灰谷健次郎を読んだときも少し感じたことなんだけどさ。改めて、そう思った。


1999年7月27日 火曜日

 さっき歯医者に行って親知らずを抜いてきた。むちゃくちゃ痛いぜ。なんか頭も痛い。気分も悪い。ヒヤロンをほっぺたに当てながらこれを打っているので、片手で非常にやりにくい。あーやだ。みなさん歯は大切にね。 

『阿Q正伝』 魯迅 増田渉訳 角川文庫 1961 
 文庫が100円で売ってたので買ってきた。高校のときからいつかは読まなくちゃならないな、と思っていた本のひとつ。『阿Q正伝』は、長編小説かと思っていたら実は全然違っていて、その文庫自体も薄っぺらい本なんだけど、それが短編集みたいになって、魯迅の有名な作品がたくさん入っているから、『阿Q正伝』自体はもっと短い。その中に『狂人日記』も入っていた。これは短編と言うよりも掌編で、見開き10ページもない。でも有名なだけはあるなと言う感じ。そう言えば色川武大も同じ題名の本を書いているな。内容はもう忘れちゃったけど。
 そんで『阿Q正伝』の内容なんだけど、バカチンな主人公阿Qがぶらぶらしながら、みんなに虐められ、そして彼自身も彼よりもバカチンなものを虐め、誰かに殴られると「俺は、昔はえらかったんだぞ」と言い返したりして、最後は泥棒と間違われ銃殺されるというもの。要するにこれは、書かれた時代から考えて、中国の偶像なんだと思う。近代化に遅れた中国は、精神的に列強により勝っているとは思いながらも、現実にはどうすることもできない。長い歴史を持つ国ゆえに、逆に近代化の波に乗り遅れ、乗り遅れはしたものの、過去の栄光の歴史を振り返って、自分たちのほうが優れていると思いこんでいる。そのため列強を見習って近代化しようと考えない。
 魯迅は彼らを精神的な部分から、啓蒙しようとしたんだと思う。でもそれは多分挫折して(成功したのなら、今の中国はもっと凄いことになってるだろーからさ)、この文庫の中に入っている『故郷』を書いたんじゃないかなあ。『故郷』は、中学三年生のときに国語でやったんだけど、当時はよく分からなかった。これを読むと魯迅のやりきれない寂しさが伝わってくる。あーあって感じの。
 この文庫を読んで、一番びっくりしたのは、すげー読みやすいってこと。普通世界的に有名な名著と言われるものは、非常に難解なものが多いんだけど、短編だからかなあ、読むのが遅いオレでも、案外早く読み終わってしまった。変な題名とは別に、とっつきやすい本なので、ちょっとおすすめの本です。


1999年7月25日 日曜日

『イタリア車火焔地獄』 清水草一
 高崎に住んでいる高校時代の唯一の友人であるカラテカ(本名出してもいいと思うんだけどweb上では一応ね、ハンドルで)に借りた、イタリア車の本。世界一壊れやすいと有名な、数々の名車に対する愛を綴ってある。
 これ読んで初めて知ったんだけど、フェラーリって結構安いのね。二千万出せば買えちゃう。オレにはバブルのころのF40のイメージが強すぎて、一億とかしちゃうのかと思った。そのくらいだったらオレも一台欲しい。でも壊れるんだよな。やっぱもったいないか。