北海ドードー鳥

石狩〜函館〜羽生


1999年8月22日(日) 曇りのち雨

ルート 石狩〜温泉〜R337〜小樽〜R5〜長万部〜R5〜函館
走行距離 350km
走行時間 7時間

 6時に起きてしまったが、もう一度寝る。昼近くになって、みんな起きだしテントを片付け始める。片付け始めると同時に雨が降ってくる。でもすぐ止む。
 荷物を駐車場まで運ぶのは、持ってくるときに懲りたので、バイクを会場の近くまで持ってきて積む。それでも結構疲れる。それで、何日も風呂に入ってない体に、余計汗をかいてしまったので、みんなで近くの温泉に行くことにした。

リストバンド 久しぶりにお風呂はとても爽快。お風呂の中にも、RSRのリストバンドをしている人がいて、みんな今まで我慢していたんだなあ、と仲間意識が芽生える。2日間のイベントもあっという間に終わってしまった。正確には滞在していたのは3日間だが。
 左はリストバンドの写真。

 お風呂から上がった後、みんなで飯を食いに行った。時間はもう2時を過ぎていたが、函館までは結構近いだろと思っていたので、あまり気にしない。明日、青森行きのフェリーに乗るので、今日中に絶対函館に着いていなければならないのだが。
 すぐ近くに、ラーメン屋があったのでそこにする。でも、北海道のラーメンはあまりいい印象が無い。去年北海道に来たときも、札幌でラーメンを食べたんだけど、全然うまくなくて、北海道はうまい物無いのかと思った記憶がある。でもそこのラーメンは結構おいしくて満足。ヨッタカが金が無いと言っていたので奢ってやる。オレっていいやつ。

 ラーメン屋を出る頃に、雨がかなり強くなってきたんだけど、そのときはもう3時を過ぎていたので、仕方なく出発する。まじで雨だきゃあむかつく。顔が痛いってーの。途中までみんなと一緒に走って、札幌あたりで別れる。今年のツーリングも面白い人達ばっかりだったなあと、走りながらちょっとしんみり。人生一期一会だよ。

 ちょっと走ってから、地図を確認。そのとき、あれれ?函館って遠いじゃん。300km以上あるぞ。なぬっと思ったが、とにかく急いで走る。うわー、今日中に間に合わないかもしれない。
 その日に泊まるライダーハウスは、事前に電話をかけておいたので多分泊まれるんだろうけど、ライダーハウスって早い者順みたいなところがあるから、確認の電話をして少し遅くなる旨を伝える。

夜景 倶知安の道の駅で、地元の人に「ここから函館までどのくらいかかりますか」と聞いたら、8時間くらいかかるんじゃんと言われまじであせる。うおー、こんなところで休んでる暇はねえと、函館に向かってぶっ飛ばす。函館までの過程は省略するが、それはそれは過酷なものだったんだよ。
 それでも9時前にRH「来夢来人(ライムライト)」に着き(ここは去年泊まって、とてもよかった)、そこの人に夜景はまだ見れますかと聞いたら、ぎりぎり見られるそうなので、すげえ疲れてたんだけど急いで函館山行きのバスに乗る。北海道にデジカメ持ってきたのは、この夜景を撮るためだと言ってもちょっと言いすぎなくらい、初めからデジカメ撮影スポットに組み込まれていたので、どうしても函館山には登りたかった。
 で、撮った写真が右。あーあ、こんな写真を撮るためにあんなにがんばったのか。

教会 帰りはバスを少し早めに降りて、ぶらぶらする。RHで説明された函館市内観光コース。せっかく説明してくれたので、本当は直でRHに帰って寝たかったんだけど、しかたなく。去年来たときも思ったんだけど、函館の町並みってうそ臭いんだよ。作り物っぽい。maggioは函館出身なのでこんなこと言うと怒られそうだけど。
 ライトアップされた教会があったので、かなりうそ臭い代物だったんだけど、記念に撮っておいた。写真だとなんかいい感じだけど実際はたいしたこと無い。夜景のほうが一兆倍きれい。写真て難しいね。

何とかボール 帰り道に「ラッキーピエロ」というハンバーガー屋さんがあったので、(去年来たときも寄ったんだけどそのときは連れが食べただけで、自分では食べなかったから)、今回は寄ってみた。すげー混んでいて嫌になっちゃったんだけど、とにかく座りたかったから。待つ時間『罪と罰』を読んでいたが、いつのまにか寝てしまった。
 ハンバーガーを運んでくる人に起こされて、もうお腹も空いていなかったのに、それでも仕方なく食べてたらうまいのなんのって。北海道で食べたものの中で一番おいしかった。それもなんだかなあって気がするけどさ。
 一緒に頼んだ何とかボールって奴が、写真で見たときは分からなかったけど、でかい。そのでかさに驚いた。そして、そのなんとかボールもうまかった。

 その後RHに戻って、本当はすぐ寝たかったけど洗濯物がたまってたので近くのコインランドリーに行った。きったねえコインランドリーで、そこで洗濯している間にまた寝てしまい、浮浪者然としたおっさんに「兄ちゃん、洗濯終わったぞ」と起こされた。このときはもう体力の限界をとうに過ぎていて、洗濯機をまわす小銭が無かったので自動販売機でコーヒーを買ったのに、そのコーヒーを取出し口から出すのを忘れていたほど。洗濯が終わって、RHに着いた時にはもう半分死んでいてどうやって寝たかとかは全く覚えていない。
 北海道ツーリングの一つのテーマとして、熊谷ナンバーにはみんな声をかける、と言うのがあったんだけど、そこのRHに熊谷ナンバーの人がいるのを分かっていながら、声をかけられなかった。これが少し残念。でもそんな状況じゃなかったから、しょーがない。
 ああ、長い一日だった。


1999年8月23日(月) 曇りのち雨

ルート 函館〜フェリー〜青森〜東北道〜自宅
走行時間 16時間
走行距離 700kmちょっと

 昨日の疲れがまだ少し残っていたが、8時には目がさめる。埼玉にいるときには考えられない生活のリズムが定着したものだ。
 12時半のフェリーなので、それまで少し時間があるから温泉にに行くことにする。昨日は昼間に入ったが、当然夜は入らなかったので。バイクに乗っていると車の排気ガスでとても汚れるから、お風呂だけは結構こまめに入る。じゃないと、バイクなんか乗ってられません。

タクシー RHの人に函館で有名な温泉とその場所を聞き、そこに向かっていたがなぜかどうでも良くなり、五稜郭を見ることにした。
 五稜郭の場所がよく分からず、ぐるぐる回ってしまったが(というかそこが五稜郭だったんだけど)、道に自分のと同じ車がたくさん走ってる。というか、タクシーに使われている。10年も前の、それほど有名でもなく高級でもない車がタクシーに使われたくさん走っているのは、まじで謎。

 五稜郭には五稜郭タワーと言うものがあって、そこから一望で来た。つーか、たいしたことが無い。面白くない。タバコが切れていたので、そこでタバコを買った。

 フェリー乗り場に向かう。手続きを済ませ、そこで飯を食う。普通そういうところの食事は高いんだけど、別にそんなに高くなくておいしかった。北海道は、へんなところで得をした気分になる。
 1時に出港、4時半到着。今日は、仙台の大学に通っている村の友人のところに泊めてもらう予定なんだけど、なかなか連絡がつかない。でも、北海道に出発する前に23日に行くことは知らせてあるので、あまり考えずに東北道に乗る。

 仙台までは300kmちょっと。結構あるが、高速道路なのでそれほど大変ではない。と思っていたら、実はやっぱりきつかった。サービスエリアで休み休み仙台へと向かう。休むたびに友人に電話をかけるがつながらない。ここらへんでちょっと不安になる。
 仙台のインターチェンジのすぐ手前のサービスエリアで、最後の電話。やっぱりつながらない。まじむかつく。どうすんだよ。どうにもならないのをわかっていながら、カラテカに電話したりする。カラテカは、適当なところで降りて24時間のサウナでも入ってそこの仮眠室で寝ろ、と言っていたが、どこで降りればそのようなところがあるのか分からないし、仙台には多分あるんだろうけど、友人宅に泊まれない時点で仙台にこだわる必要は無いと考え、結局行けるところまで行って、もう駄目だと思ったらそこで降りようという結論に達する。
 東北道に乗った当初から降っていた雨がどんどん強くなるし、トラックはぶんぶん飛ばすしで、もう最悪。走っている途中で、もう全てどうでも良くなってきて、事故で死ぬ前に「このような事態になったのは、すべてニガーのせいです」という遺書を書いてやろうかな、とか考える。そんなときに突然気づいたのは、金がたらねえという最も重要で重大な問題。ハイウェイカードが6000円くらい残っていて、現金も6000円くらいあったので、青森から羽生まで10000円ちょっとだから大丈夫、と思っていたんだけど、よく考えたらガス代入れてなかった。100km200kmじゃないんだから、2000円弱でたりんのかあ。やばい。
 それからは、90km/hでゆっくり走って、超低燃費走行をし、むちゃくちゃ眠いのにコーヒー買うのを我慢し、雨が降る中パーキングのベンチで、排気ガスでどろどろになった体を横たえ仮眠を取ったりした。高速道路を走行していて、いつのまにか防音壁やトラックに、すうーっと吸いこまれて行ってしまう。いかんいかん寝ちゃダメ、と思うんだけど、その10分後にはまた同じことをやってしまう。もう死んだな、みんな今までありがとう、と思っていた折、羽生まであと100kmと言う看板が見え、泣きそうになった。

 家に着いたときは、体重が3キロ、体脂肪率は5%減っていた。

 でも、そうゆうのも含めて、北海道ツーリングはとてもおもしろかったよ。ニガーはぶっ殺すけど。北海道の自然、人、バイク、雨、ジンギスカン、アザラシ、それらの全てが素敵だったです。