![]() |
霜月の頃
健康について。
小学校の頃は、いつも病気になりたくて仕方がありませんでした。
もちろん、病気になれば学校を休めるからです。
しかし、私は健康的な肥満児でしたので、ほとんど病気になったことがありませんでした。
今はその反動からか、体が弱くなってきているような気がします。
冬になると関節が痛くなったりします。
さすがに、まだ年だとは思いたくないのですが。
「健康は宝だ、健康のためなら死んでもいい」という笑い話があります。
普段は健康の素晴らしさに気づかないものですが、病気になるとそれが骨身にしみる。
10月頃から断続的に風邪を引いており、全快しません。
「健全な肉体に健全な精神は宿る」というから、
「健全な精神に健全な肉体は宿る」のかも。
治らないわけですね。
1999年11月30日火曜日
今日は近所をバイクでぶるるんと散歩に行ってきました。
私の家の近くでかつて「埼玉博覧会」なるものが開催され、
その跡地が中途半端な公園となり残っています。
そこでたくさんのダンプやらショベルカーやらが何かやっています。
前から気になってはいたんですが、公共の施設かなんか建てるんだろと、
別段何も考えていなかったのですが、ちょっと様子がおかしい。
ばーさん、子供の群れまでもそこで何かやってます。
私の推測によると、発掘をしているのではないかと。
ここら辺の地域は、行田市の稲荷山古墳に代表されるように、
歴史的遺物の匂いがぷんぷん漂っているのです。
すなわち、鉄剣くさいのです。
若き日、インディージョーンズのような考古学者に憧れていた私は、
いつか徳川の埋蔵金を掘り出して、億万長者になってやると夢見ていました。
その野望とは少し離れたものになってしまいますが、
それでも、こんなところで発掘が行われているのには、
多少なれ、心踊るものがあります。
でも寒かったので、横目で見ながら通りすぎ、
マックでビッグマックセットを食べて帰ってきました。
1999年11月29日月曜日
昨日はすごい霧でした。
普段通いなれているはずの道が、
霧で5m先が見えない。
目に映るのはただ白い霧だけ。
先が見えないから、この道がどこまで続くのか、どこに続いているのか全く分からない。
この道はきっとオーディンの待つヴァルハラへと続いているんだ、
彼はきっと、僕が行くのを待っているんだ。
そんなことを考えながら車を走らせて行くと、
いつも通り、いつもの場所に、信号機がありました。
「人間は、もし気が違っていないとしたら、
別の違い方で気が違っていることになりかねないほどに、
必然的に気が違っているものである」 パスカル『パンセ』 前田陽一訳
狂想的な毎日にあって、ある意味真実かもしれません。
なぜなら、卒論という名のモンスターは、著しく私の脳を損傷したから。
オーバーフロー。
畢竟、会社で出された宿題、ドイツ語のレジュメなぞをやるキャパシティーは、
矮小な私の大脳には残されてはいないのです。
1999年11月26日金曜日
非日常の日常。
日々の生活に対するアプローチの仕方には、二通りあると思います。
すなわち、自分を基準にするか、他人を基準にするか。
自分を基準にすると言うと、なんだか自己中のように思われるかもしれませんが、
そういうことではなくて、自分を基準と言うのは「自制」のことです。
自分の基準でエゴを制して、他人と接する。
もう一つは、他人を基準にして自分を律する。
現代の社会生活で完全に一人で営むのは不可能です、多分。
だから、どこかで他人とのバランスを取ってやっていかなければなりません。
トータルバランス。
そんで上の方法が必要になってきます。
結局は同じ事なんですけれども、絶対評価と相対評価の違いですよね。
自分で確固たる信念のようなものを作り上げて、それに合わせていくか、
もしくは、他人に合わせて自分の信念を作り上げていくか。
信念とかいう言葉を使っちゃうと、バカっぽいですけど、
実際はもっと軽いものです。
これを「個に対する帰納と演繹」といった題名で、そのうち発表するつもりです。
大嘘です。
そんなわけの分からんことを考えている暇があったら、
卒論やれといったところですが、
雨が降ると何故か気分が滅入るものなのです。
1999年11月24日水曜日
独文関係の話題を。
卒論やるのも嫌なので、本でも読もうと思うのですが、
さすがにそんなことやってる場合じゃないぞと、
少し離れたところに居る自分がとめに入ります。
かといって卒論はやりたくない。
そんな気分のときに本棚を見たら、
「学習院大学ドイツ文学会 研究論集」というものが目に入りました。
研究論文を読んでも面白くは無いので、
初めに書いてある「早川先生との44年間」というエッセー風のものを読んでみました。
早川先生というのは、学長も経験した独文の先生ではとてもすごい方です。
定年になって、今は女子大の学長をやってらっしゃいます。
そのなかで、早川先生と岩淵先生(ブレヒト研究では世界的権威らしい)、
その文を執筆している川口先生(ボルボに乗ってる)と村田先生(奥さんがドイツ人)が、
よく一緒に麻雀をした見たいなことが書かれてて、
「すげえ面子だな」と思いました。
独文の学生じゃないと分かり難いと思いますが、
私の中では、田中角栄とケネディ、フルシショフと周恩来が、
ボンバーマンやってるのに近いものがあります。
1999年11月23日水曜日
音楽について。
何処かのCD屋さんに、
「NO MUSIC NO LIFE」とかいうコピーがあります。
私はあまり音楽を聞かない、と言うかむしろ音楽を憎んでいるので、
「NO MUSIC LIFE」というのが、私にはあっています。
音楽が嫌いというのは、他人のウタを聴くのが嫌いみたいで、
自分で歌ったりギターを弾いたりするのはそれほど嫌ではありません。
しかし、その方面には全く興味が無いので、積極的に聞いた音楽は、
小学校の時の「Beatles」と、中学校の時の「BUCK-TICK」くらいで、
最近流行っているウタは全くわかりません。
この前古本屋で初めて「ラブマシーン」を聞きました。
そんな私が「ヤマザキマサヨシ」という人の歌を聴いています。
それは彼の歌が好きだからではなくて、ギターが好きだからです。
つまり私が何を言いたいかというと、ヤマザキの歌は嫌いだけど、
自分で歌うヤマザキの歌は好きだと。
ギター上手になって、みんなにキャーキャー言われたいと。
音楽は嫌いだけど、キャーキャー言われるのは好きだと。
そういうことです。
1999年11月22日火曜日
卒論について、その3。
いつも、卒論については不平不満ばかりなので、
たまには肯定的なことも書いてみます。
私の卒論のテーマは『ニーベルンゲンの歌と北欧神話について』という、
本人にも良く分からないものなのですが、
調べて行くと、これがなかなか面白い。
本を読むこと自体は別に苦痛ではないので、
いわゆる参考文献と言われるものを読んで行くと、
結局は私の好きな文学的内容で(つまり読書自体が目的の本)、
どんどん読んで行けます。
しかし昔から読書感想文というものが大嫌いだった私には、
本を読んでそれについて何か書くというのは、かなりの苦痛です。
それも好き勝手にただの感想を書けばいいなら、そんなに嫌ではないのですが、
論文という名前がついているからには、それ相応の内容が必要なわけで。
しかし、その様な苦痛をひっくるめてもやはり面白い。
特に北欧神話はとても面白い。
主にアイスランドの伝説・神話を扱うのですが、
ギリシャ、ローマ神話には無いアイスランド独特の価値観がある。
中学生の時の理科の先生が、
「凄いものは厳しい環境でしか生まれない」というようなことを言っていました。
それが全く正しいとは思わないけど、アイスランドのような厳しい自然環境の中で育つ、
研ぎ澄まされた感性のようなものは、確かにあると思います。
ぬるま湯の中では生まれない、ギリギリの創造性のようなものが。
多分、環境としては、今の私もアイスランドに近いものがあると思います。
そこから何が生まれるかはわかりませんが。
1999年11月19日金曜日
しし座流星群。カモーン。
今日はなにやら星降る夜のようで。
さっき外に出てみたら少し曇っていました。
こんな時こそ田舎パワーを最大限に発揮したいと思っているのですが、
なかなか望むようには行かないようです。
以前にもしし座流星群が来たような気がしますが気のせいでしょうか。
いつも太陽系の彼方まで思いを馳せている私ですが、
理科っぽいことはとんと分かりません。
何十年に一回とかで来る彗星みたいのが居ますよね。
「76年に一回だから、もしかしたらまた見られるかもしれないね」
とか言ったり。
「その時もまた二人で見られればいいね」
とか。
ばっかみたい。死ね、死ね。
近視の私には、そんな自然現象よりも、
ご飯を食べたり、眠ったり、ご飯を食べたりすることのほうが重要です。
それらの流星が学校にあたって(特に文学部棟)、
全てを消し去ってくれるなら 別ですが。
流星降ってこーい。
1999年11月17日水曜日
遊び疲れた。
私の父親の持論で、遊びに行ったときには絶対に疲れたと言うな、というものがある。
仕事や抜き差しならない用事で何処かに出かけたのなら
疲れたと言っても、何ら問題は無いが
遊びに行くときは自分の好きで行っているんだからそんな言葉は決して言うな、と。
確かに言いたい事はわかる。
でも遊びにいったって疲れるもんは疲れるんだこの野郎
と言いたいんだけど、父親は本当にそれを実践しているから言えない。
有言実行。
つまり、やるっつったらやる。
卒論もやるって言ったんだからやる、終わらせる。
有言実行、言うは易く行うは難し。
ん?
ちょっと待てよ。
つまり逆に言えば、卒論無理だって散々言ってるんだから、無理なままでイイのか。
なーんだ、簡単。
1999年11月15日月曜日
ノーム注意報発令。
アルバイト中は、携帯電話を事務室においておきます。
もしくはバックの中か、車の中か、家か。
とにかく携帯はしていません。
休み時間に事務室においておいた携帯を見てみると、
珍しいことに着信アリになっています。
誰かな、と思って見てみると、
「通知不可能」
不審に思ったのですが、その正体はなんと(やはり?)英吉利に留学中の、
wndering翁その人でした。
3月に帰れなくなった理由と謝辞を延べ、12月に帰ってくる旨を伝えられました。
懐かしい声で、ついつい長話になってしまいそうなので、
早めに切ろうとすると、なんと国際電話は国内から携帯電話にかけるよりも安いと。
1分15円くらいだと申しておりました。
ビバグローバル化。
これが本当の国際性なんだと、目からマグロが飛び出る心境でした。
話は変わりますが、そのバイト先からの帰り道。
私が住んでいる所は、相当年季の入った田舎なのでまわりは田圃ばっかりです。
き、霧が・・・。
視界度3mでした。
センターラインがある道はいいんですが、ないところは本当に怖い。
田圃に落ちそうになること限りなし。
こういう時に、オレって田舎に住んでるんだなあということを実感します。
1999年11月12日金曜日
屈折する星屑。
今日は週に一回の胸くそ悪い授業のある日で、
仕方なく朝6時半に起き、学校に行きました。
私がとっている授業は「中世ドイツ語演習」と言うもので、
その名の通り中世ドイツ語を勉強するわけです。
何故そんな授業を履修したかと言いますと、
私はドイツ文学科の身でありながらドイツ語は全く分からず、
中世ドイツ語ならみんな分からないからいいだろ、と思ったのであります。
また、その授業の教授は私の卒論指導教授でありまして、
まあちょうどいいかなと。
しかしあろうことか、その教授は病気で入院してしまい、
先生が変わってしまったのです。
今度の先生は厳しいお方で、
ガンガン指します。
でもその質問の内容はそれほど難しいものではないらしく、
みんなスラスラと答えてゆきます。
「じゃあ次、酒井君」
嫌なんだよねえ、簡単な質問されるの。
どんな質問されようがわかんないんだから難しい質問にして欲しい。
まわりはみんな後輩という中で、勿論こう答えました。
「全く分かりません」
まさにジギースターダスト、屈折する星屑。
普段クールで無口な先輩を気取っている私としては、
とても辛い仕打ちです。
だったら勉強すればいいのに、と思ったあなた。
まったくその通りです。
1999年11月11日木曜日
携帯電話を買いました。
と言っても、機種変更しただけで会社は今までと同じなんですが。
何故変更したかと言うと、我が愛すべきツーカーセルラー東京は、
その財政上の問題からか、Jフォンという聞いたこともないような会社と提携してしまい、
スカイなんとかと言うメールを、そのJフォンと出来るようになったらしく、
Jフォンの友達を持つ私としては、買わざるを得ない状況に追い込まれたからなのです。
メールなんて糞くらえだEメールやりやがれこの野郎、とも思ったのですが、
私が使っていた機種はもう相当古いもので、なんとなれば実はちょうど良かったのです。
そして、私が所有することとなった4代目の赤い電話は、初めてのソニー製。
むむむ、かっこいい。
さすがソニー。世界のソニー。
ただ残念なことには、取説が2冊もあり、
それぞれが結構な分量を持っていて、
卒論の本だけでもうこれ以上活字を見たくない私は、それをとても読む気にはなれず、
ショップで今までのデータを古い携帯から新しいものに転送してもらった以外、
何もいじらず、
携帯電話を持つこと自体に少々嫌気が差し、
まだ家から一度も、外に持ち出していません。
固定電話です。
1999年11月10日水曜日
卒論について その2
昔から私は家では全く勉強が出来ない性質で、
かといって、他の場所で勉強できるかと言えばもちろん出来ないわけで、
結局何処に居ても出来ないんじゃないかとは思うけれども、
やっぱり家が一番出来ないわけです。
昔よりも今のほうが私を誘惑してくる愚かなものがぐっと増えてしまって、
気づくと普段はめったにやらないテレビゲームをやっていたり、
ギターを弾いていたり、
インターネットをやっていたりするわけです。
いかんいかん、がんばれオレとか思ってみても、
その10分後には、眠っていたり、ビデオを借りてきてしまったり、
散歩に行ったりしてしまいます。
そうゆうのもそろそろ本当に危険な、禁じられた遊びになってきてしまっているので、
今日は頑張って9時に起きたのですが、リポビタンDを飲んでまた寝てしまいました。
起きたら1時だったのでお昼を食べて、ムースとコーラと白髪染めを買ってきました。
早速白髪染めを試して見たりして、気づいたら4時でした。
いかんいかんだめだぞオレ、と自分を鼓舞しながらチーズケーキを食べました。
コーヒーを飲み終わり、新聞もあらかた読み終わった頃には貴乃花は勝っていました。
そろそろ怖くなってきたので、塾に行ってやろうと思い、
10kgはあるかというノートPCを携えて塾の自習室で勉強をし始めると、
さすがは自習室、静かでいいです。はかどります。
ふと顔を見上げると、目に前の壁に落書きがして有りました。
「私はうんこです」
それが本当だったら、すごいなと思いました。
1999年11月9日火曜日
卒論について少し書いてみます。
私が属する学科は、卒論を書かなくても良く、
書かない場合は特別演習と言う名を詐称する語学の授業で替えられるのです。
私は三度のサラダ巻き抜きより、語学が嫌いな人間であって、
語学の授業を受けなくて済むのなら、親も売り飛ばしかねません。
そうゆうわけで、卒論をとったのですが、
担当指導教授の新保というヤローが、入院などしやがって、
締め切りが1ヶ月程早まってしまったのです。
締め切りの1ヶ月前に書き始めようと思っていた私は、
その早まった締め切りには絶対に間に合う分けがなく、
「あの人卒論書き終わらなくて留年したらしいよ」
と、来年後輩にコソコソ陰口を叩かれている自分が、
最近妙にハッキリと想像できるというわけです。
「卒論書けなくて留年する奴なんていねーよ」
と言う言葉は、
「出席していれば絶対に取れる、出席していて落とした奴なんて聞いたこと無い」
と大学に7年居た先輩に言われた授業を軽く落として見せるような私なので、
全く意味を持ちません。
チョビヒゲ危機一髪と言った心境です。
「こんなんやってる暇あったらやればいいのに」
と思ったあなた。
全くその通りです。
1999年11月08日(月)